「曳家」という技術 −有限会社太豊工業−

日本の高度経済成長期を経て、人口減少が危惧される中で建築業界は岐路に立たされている。生き残りが厳しい業界だが、太豊工業は今から30年ほど前に先駆けて一般建築から家や建築物を動かす「曳家(ひきや)」を主軸に切り替え、全国で注目される曳家の会社になった。「曳家」という特殊建築の仕事で、どのように成長し続けているのか。その軌跡と思いを安田社長に伺った。

安田厚士

先代から受け継ぎ、約200年続く建築家業としては六代目。代表だった父を17歳で亡くし、18歳から建築業務に携わり、一級建築士の資格を取得。41歳で代表取締役社長に就任。職人・経営者としての学びを日々続けながら、三人の子どもの父としても奮闘している。

曳家とは

建物、重量物の下にレールを入れて持ち上げ、移動する工事。
現在ある位置より移動、回転、上げ、下げを行う。
こうする事で改築、新築にすることなく、住み慣れた住居で区画整理や道路拡張による移動や耐震補強、建て替えなどの問題を解決することができる。

家曳き

今あるものを最大限に生かせるSRM工法により、床を解体することなく家財道具も動かさず、普段の暮らしをそのまま移動したり上げたりすることが可能に。
工期も短期間で、工事費は新築工事の約6、7割程度。

嵩上げ

土台をコンクリート基礎、礎石から切り離し、建物全体を上げる工事。
建物を移動せずに基礎補強や、土台で建物を水平に上げた状態での増築、基礎を施工する工事。

原点に立ち還り、「建築」から「曳家」へ

太豊工業の跡取りとして生まれ、何不自由なく生活していた17歳の時に経営者である父が他界。
会社は一気に廃業の危機を迎える。

「母親が事業を引き継ぐ際、当時は“女性のやれる仕事ではない”“潰した方がいい”という声もありました。ただ自分としては、太豊工業を潰さなければならん状況が居ても立ってもいられず、それなら俺が学校を辞めて大豊工業の跡を継ぐと言ったのがきっかけ。私が41歳で代表になるまで母親が社長として会社を守ってくれました」

今では「曳家」の仕事をメインに請け負う太豊工業も、その当時はまだ一般建築の比率が大きかった。

「母が承継した当時は、八割ほどが建築の仕事。その頃に、元々は曳家で生計を立てていたのだから、もう一度自分たちの仕事の原点を見直したらとアドバイスを頂き、母と事務員二人で滋賀、三重、愛知、静岡で飛び込み営業を始めました」

「曳家の仕事なんてもう無い」と言われていた時代に、飛び込み営業をする会社は全国どこにもなかったはずと話す安田社長。
その手法は営業先でも驚かれることが多かったが、行動力が実を結び、現在では「曳家」の事業が全体の九割を占めるほどに成長。そのほとんどが営業でつながったお客様がきっかけになっている。

床を壊さず「普段の暮らし」ごと動かせる

曳家は、土地の区画整理や道路拡張などで家や建築物の移動を迫られた時、建物を傷つけずに移動させる仕事を請け負っている。
年々その技術は進化し、今では床や家財道具ごと移動できるのだとか。

「鉄道のレールを使って床下一面にフレームを作り、そのフレームごと家を上げるから床も壊さなくていいし家財道具もそのまま曳ける。ただ、曳家そのものを知らない人が多い。家は動かせる、そういう技術を持った業者がいることを知ってほしい。そうすれば解体と動かすという二つの選択ができますから」

曳家を続ける背景には、安田社長が大切にしている「もったいない」の精神がある。

「ご先祖様が立てた建物を壊したらゼロになる。そのうち半分、たとえ1でも残せる技術が僕らの仕事だと思う。例えば、子どもの身長を刻んだ柱だけを残すこともできる。部屋の中に残すのがかっこ悪いならドアを開けたら見えるようにする工夫もできる。そういうお客様の気持ちを大切にして、家族の思い出を受け継ぐ仕事だと思っています」

中には、家の解体直前で「すごく良い基材だから、もったいないんだけど」と解体業者から連絡が来ることもあるのだとか。

「解体屋さんと曳家は本来ライバル関係だけど、解体屋さんは見る目があるから二度と手に入らない良質な基材は、壊すのが惜しくなるんですよね。解体が決まっていたのに曳家を提案したら家を残すことになった事例もありますよ」

先祖や家族の思いを受け継ぐ技術

一見ニッチな産業のように感じるが、曳家のニーズは安定しており、売上の大きな波はない。それには同業他社が廃業し、曳家の請け負い先が減少している背景がある。

「曳家ができる会社がどんどん減っていて、岐阜県では4、5軒。西濃地方はうちだけ。ただ、うちのように売上の九割が曳家の会社は全国でほとんどないと思う。今では東海だけでなく関西圏の仕事も頂いています。売上が安定しているのも、周りが廃業し引き継ぐ仕事もあるからですね。結局、生き残ったら生き残れる業界です」

 しかし、ビジネスの成功のためではなく、曳家の技術継承、人の思いを残すことを何より重んじる安田社長。

「新品なら誰でもつくれる。でも、古い物を残すには、技術と工夫、アイデアが必要。この提案が出来る人が限られつつあります。いままで培ったノウハウから生まれるアイデアもある。家でも、アイデアがなければ壊す一択になってしまうけれど、具体的な方法や補修のアレンジを提案できると選択肢が広がります。壊すにしろ、曳くにしろ、お客さんの選択肢を広げていきたいです」

 今は若い世代が古民家をDIYで改装するのが流行っているため、「柱1本を上げてほしい」など世代を超えた新たな需要も拡大している。
SDGsの観点から考えても、今ある資源をどう残すのかは私たちの大きなテーマだ。
スクラップアンドビルドだけが選択肢ではない時代が、もうすでに始まっている。

【取材先】
有限会社太豊工業
[所在地]岐阜県大垣市鶴見町408
[TEL]0584-81-1852
[創業]1992年10月
[URL]http://taiho-kogyo.jp/

(取材・文:笹田理恵 / 編集:OHACO編集部)