【三星グループ】
130年以上続く会社経営を引き継ぎ、
次の世代の“価値を創造”する

木曽三川のほとりに位置する国内有数の毛織物産地「尾州」。
90年代をピークに縮小する国内繊維生産量は最盛期の10分の1以下となり、尾州で4000社を超えた生地メーカーは約200社を残すのみとなりました。

厳しい産業の中で、130年以上続く三星グループを継いだのは岩田真吾代表。
リーマンショック直後に継業し、海外展開を見据えた事業拡大やSDGs的な視点を持つ社内風土の変革を続けています。

岩田代表に家業を継いだ思いと、現代の価値創造の考え方について伺いました。

代表取締役社長 岩田 真吾
1981年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。三菱商事株式会社、ボストン・コンサルティング・グループを経て、2009年に三星毛糸㈱・㈱ウラノス入社。2010年、同社の代表取締役社長に就任し、2015年三星ケミカル㈱の代表取締役社長就任。独自の視点で会社風土の変革や新しいプロダクト開発に挑戦し続けている。サウナ好きでフィンランド・サウナ・アンバサダーとしても活動中。

三星グループ 岩田さんの十八番
ポジティブシンキングな未来思考。
どんなに苦しいことがあっても
「とりあえずやるっきゃない」と
チャレンジする。

―東京で進学・就職していた岩田代表が28歳で家業を継ぐ決め手になったきっかけは?

ひとつは年齢。
若いうちの方が失敗しても何とかなるという考えはありました。
あとは、中小企業経営者である義理の父が「何歳までサラリーマンやるつもりなのか」と話していたと妻から聞いて。
「早く家に戻った方がいい」という意味ではなかったらしいのですが、いいタイミングかと思ったんです。
新しいミッションに3年かかるとして、20代のうちに挑戦するなら27、28歳はちょうどいいと思いました。

―元々、家業を継ぐつもりで東京に進学したのでしょうか。

事業家になるつもりでしたが、自分で起業するか跡を継ぐかという選択肢がありました。
でも、東京や世界で学んできたことを地元の尾州に持って帰ってきて、100年以上続く家業と掛け合わせる方がユニークな人生じゃないかと思いました。

―幼い頃から家業を見てきたと思いますが、入社後のギャップはありましたか?

子どもの目線で眺めるのと経営者の目線で向き合うのでは全く違いましたね。
ただ、幼い頃から家業の内容は嫌いじゃなく、ファッションにも興味があった。
そして、跡継ぎとしても父のことは嫌いじゃなかったんでしょうね。
厳しい産業の中で事業を続けてきたことに対する尊敬があります。

―大学卒業後、三菱商事に就職するときはお父様に反対されなかったのでしょうか?

僕が就職活動するときに一番相談に乗ってもらった身近な社会人は父でした。
父からは「自分が雇うなら〝僕を雇ってください〟という人より〝僕と一緒に稼ぎましょう〟と言ってくれる人が欲しい」とアドバイスをもらいました。
「御社に入れば成長ができる」と言う自分本位な人間より「僕にはアイデア、御社にはネットワークや資金があります。
一緒にやっていきましょう!」と言ってくれる若者の方がいいと。
そういった視点を父親から教わりましたね。

―就職活動の時期に家業を継いでほしいとは言われなかったんですね。

18歳までは「お前は跡継ぎだ」と言われて育ってきて、継ぐこと以外の考えがなかったんです。
でも、大学の法学部に入学したことで弁護士や、インターンをきっかけに広告代理店もいいなと思ったり。
そこで一旦リセットというか、跡を継ぐだけが全てじゃないと思いました。

一度フラットになった後に社会人経験を積む中で、「起業より跡を継ごう」と結実したという点が僕としては大事だったと思います。
自分で決めずに「親に言われたから」と継いでいたら途中で心が折れていたかもしれないですね。

―「家業を継いでほしい」という親からの圧が強くて反発を生むという話も聞くのですが。

僕としても、もし自分の息子に対してなら、親が継げと言うからではなく「この業界に来るなと言ったのに来る」くらいの覚悟が欲しい。
父とも「ちゃんと自分が決めたことかどうか」を話し合いました。
他人に言われたからではなく自分が決めているかどうかを自問自答して、「みんなが反対したとしても自分はこの道を選ぶ」という納得感を持ったのが27歳という年齢だったと思います。

―継業当時の貴社の経営状況や課題は、岩田代表にどう映っていたのでしょうか。

戻ったのが2009年なのでリーマンショック後の最悪期でした。
僕は家業を継ぐことを儲かるか儲からないかで決めてないので、騙されたという気持ちは全くありませんでした。
ただ戻ってみて、思った以上に数字は悪いなと痛感しましたね。
それは事実として、最悪期のスタートはしょうがないものだと前向きな気持ちで取り組みました。

―葛藤や壁を感じる瞬間はありましたか?

継いだこと自体には全く後悔はなかったのですが、思ったよりできない自分のふがいなさにがっかりしました。社長就任後1年目くらいのときですね。

―それはどのようなときに感じたのでしょう?

コンサルで学んだような、KPIを設定して週次会議で詰めて、論理的にマイクロマネジメントしたら数字は上向くと思い込んでいたんです。
でも横ばいだった。そこから自分もしっかり汗をかこうと、海外展開のために自分が先頭立って出張に行って交渉したり、フランスの展示会に出展したり、自社ブランドを立ち上げるようになりました。

「競争」から、共に創る
「共創」の時代へ

尾州産地(愛知県一宮市と岐阜県羽島市)は、木曽川の豊かな水と肥沃で温暖な濃尾平野の恩恵をうけ、昔から織物生産が盛んに行われてきた。
糸から織物に至る全工程が地域に結集し、分業体制を確立しているのが最大の特徴。

―尾州産地は世界に認められる国内有数の毛織物産地です。地元に根付く産業を守ることについては、どうお考えですか?

尾州は、業界の中で小ロットから様々なものを選び、作れる便利さゆえのブランド価値があったと思います。
それを捉え直すと、すぐ近くで作れて無駄なものを作らないという地産地消のような、今でいうサステナビリティの文脈に即した価値がある。

それに、ウールの価値もあまり知られていない。
再生可能な素材で土に埋めたら肥料になるし、Tシャツも作れると伝えたら驚かれます。
ウールの素材や尾州産地にある「認識されていない価値」をいかに顕在化していくのかが自分の役割だと思っています。

―なるほど。産地内での企業間連携はあるのでしょうか? 

今まで同業は、競合やライバル意識が強かった。
でも、状況が状況だけに、僕たちの世代から先はもうそんなこと言っている場合ではない。
争う「競争」から共に創る「共創」に変わっていかないと。
21年10月に開催された使い手と作り手がつながる産地のイベント「ひつじサミット」などを通して、企業間のつながりを作って促進していけたらいいなと思っています。

―最上級のウールのみを使い、メリノウール100%のTシャツやポロシャツを展開する御社のオリジナルブランド「MITSUBOSHI1887」の反響はいかがでしょうか?

作り手と使い手が直接つながる関係性は、作り手側にとって価値があり、使ってくださる方にも求められているものだと認識しています。
比較的高級品なので、大量に売れるわけではないですが、一方で着実にファンは増えています。
昔のイメージで、チクチクするとか厚ぼったいというイメージをお持ちだと思いますが、三星ならではの高品質ウールを上手に〝料理する〟強みによって、軽くて気持ちいい製品を作り出せています。
うちのブランドを通してウールの魅力を再発見してくださる方が多いですね。

MITSUBOSHI1887のホームページでは使い手の思いも読み取れ、
単に購入するだけで終わらない、ブランドとの関わりが伝わる。
https://www.mitsuboshi1887.com/

持続可能性のある
ものづくり産業に

―貴社のミッションに「多様性からの連帯/Diversity and Inclusion」という SDGsの価値観に寄り添うテーマがありました。これは、岩田代表が継がれた後に生まれたものでしょうか?

自分の代からですね。
Diversity and Inclusionは、創立130周年を機に言語化しました。
ただ、うちはもともと創業者が女性の会社なので根底にそうした価値観があったと思います。

女性の活躍やLGBTQに対する活動は、人口減社会の中では中小企業経営においてもすごく重要なポイントで、率先してやっていくことが必要です。
これは自社だけではなく、尾州全体で考えていて、LGBTQ研修をするときに他社も呼んだりしています。
そのぐらいまでして、尾州がDiversity and Inclusionの先進地域だと言えるようにしていきたいと勝手に思っていますね。

―実際に社内でダイバーシティに関する仕組みや働きかけはありますか?

まず、ハード面で就業規則の改定を主導しました。
例えば、うちの会社は同性パートナーも異性のパートナーと同様に各種休暇が取得できたり、忌引きや結婚祝い金も貰えます。
活用されるかどうかの前に会社としてそれがOKだという〝箱〟を作ってあげることが大事だと思います。

―ソフトの面ではいかがでしょう。

 ソフト面は、あまり押し付ける気はなく、根気強く伝え続けることが大事かと思っています。
その一環として、月に一度「社長通信」に僕の考えを書いて社内に発信しています。
今はnote※で社外にも公開しています。

―会社の体制や風土を変えていく際に、お父様である会長と相談されますか?

企業文化の点では父から意見を言われたことがないかな。
逆に、僕の経営戦術について説教されることはありますよ。「細かいことまで言いすぎだ、もっと下に任せろ」とか。

―代表就任後に社内規定や企業風土を変えていかれて、会社の雰囲気が良くなったという実感はありますか?

若い人が和気あいあいとやってくれている雰囲気はあるけれど、やはり100年以上続いてきた企業風土なのでまだまだです。
でも、若い女性社員に「いつ結婚するの?」みたいな話題は、うちの社内では絶対ないですね。
そんなことを言ったら、僕がむちゃくちゃ怒るだろうというのも社員は分かっているはず。

―コロナ禍を経て、どの企業も環境適応しながら変化を求められる時代になっています。三星グループとして新たに進めている取り組みがあれば教えてください。

日本の中小企業がものづくりで生き残る道というのは持続可能性、サステナビリティしかないと考えていて、そこに全社で注力していこうと話しています。

うちは、ウールの布地作りともう一つ大きい事業としてプラスチックのコンパウンドをする三星ケミカルがあり、トレーサビリティが確保されたリサイクル事業の立ち上げを急ピッチで進めています。
東海地方でプラスチックをリサイクルしたいと考えている企業さんがいらっしゃったらぜひお声掛けください。いろんな会社と連携していけたらいいと思っています。

―最後に、OHACO読者にメッセージをお願いします。

以前は「自社を何とかしよう」という意識が強かったのですが、コロナ禍で180度切り替わって、産地のみんなと力を合わせて新しい未来を切り開いていくんだ、という意識になりました。
ぜひこのOHACOを読んだ方で興味を持たれたら三星に遊びに来てほしいです。
会社見学のツアーもしていますし、ぜひ岐阜羽島に足を運んでみてください。

※岩田真吾 社長通信
https://note.com/noteshingo

【今回の取材先】
三星グループ
(三星毛糸株式会社、三星ケミカル株式会社、株式会社ウラノス)
[所在地]岐阜県羽島市正木町不破一色字堤外898(三星毛糸株式会社)
[従業員数]100名(2021年12月現在)
[創業]1887年
[年商]21億円