最期の1%まで幸せに生きる【 連載 No.12】
長年、看護、介護、看取りをしているとさまざまな状況に出くわします。
最近度々あるのが、家族の想いと本人の想いが違っている事。家族はやはり、最期の親孝行として、出来る限りの治療や延命を行い、1分でも1秒でも長生きさせたい!それが親孝行で、子ども自身の願いでもある。
ある家族が居ました。
90歳を超えたお母さんは末期の癌、息子は発見が遅れたのは、自分のせいだと悔やんでいる。
出来る事なら、手術もして、抗がん剤か放射線治療も使いたいと医師に申し出た…また、本人には末期の癌は告知しない事を決めた。
しかし、どの病院の医師も年齢と体力的に手術も放射線治療も抗がん剤治療も難しいと判断されて治療が受けられなかった。
でも、何かをしないと、見捨てる様な気がしてならない息子さん。しかし、仕事もある為、自宅では介護できない。そんな状態で入所されました。状況としてもいつ急変してもおかしくない。
自然な看取りの話しをしても…それが本人の為に一番良いのはわかるが…でも…何とか延命したい…もはや、こうなってくると、誰の為ではなく、息子さんの気が済むようにが先にくる。
とても親身になってくださる訪問診療の医師が息子さんに何度も何度も話をしてくださるが…しかし受け入れられない。
医師が息子に聞く…貴方は誰を主体に考えているの?本当にお母さんを思ってる?息子は…自分が嫌なんだ…と。
医師は説得するが、首をたてに振らず、平行線…結局、穏やかな自然な看取りは叶わず、食べられなくなって、点滴、酸素濃度が下がり酸素マスク、心臓マッサージも希望。
こうなってしまうのは、何故だろう?といつも直面するたびに思う。第一に考えられなかった。死に対する恐怖心と親の死を考えてない、いや、考えたくない。
また、死に対して忌み嫌う文化が根強い…毎回、思うが生まれて来た以上、100%死は避けられない。100%受け入れなければならないのに、何故忌み嫌うのかは、冷静に考えて少し不思議に感じます。
たぶん、私を含めて、死に対する不安が拭えない時は、まさにそうかも知れません。私自身も何度も述べていますが、病院勤務の看護師をしていた頃は死は苦しくて恐ろしいものだと実際に思ってました。
しかし、自然な看取りを始めて変わりました。
また、逆に尊さを感じ、感謝の時間にすらなると思いました。だからこそ、その時間を作る為に、最期の選択は、意思表示はしっかりとしたい。そして、死に対する知識は学ばないと最期の1%を苦しみの中で迎える事になる。
皆さんは親や身近な人の為に延命を希望しますか?
自分はどうありたいか?
決して、縁起でもない事を話すのではない、100%必ず誰にでも来る日の為に家族と話し合い、書き残す事をお勧めします。
有限会社ひなたぼっこさと 代表取締役
看護師として総合病院勤務。訪問看護などを経て17年前に起業。デイサービス・有料老人ホーム・保育園を経営する。
【有限会社ひなたぼっこさと】
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